会長からのメッセージ

改めて文明の精神を問う

 一見大げさなタイトルですが、その理由を説明しましょう。
 わが国の研究は「保守化」しているとの指摘があります。既存のテーマの延長型ないし小さい改良型の研究の比率が増大し、新たな領域を切り開く研究の比率が減少していることによります。類似の現象は教育についても言えます。社会や企業の現在のニーズに対応できる人材を求める声が大きく、社会や技術を変える、次の時代を先導する世界的リーダーの育成を大学教育等に要求する声は、残念ながら小さいのです。仮に教育の「保守化」と名付けておきましょう。
 このような「保守化」の傾向は、とくに今世紀に入る頃から顕著になったのではないでしょうか。その結果、欧米各国を代表する大学群と日本の大学との乖離が大きくなってしまったのです。このような「保守化」の一因は、わが国の大学が、現状のニーズ中心の、ステークホルダーの評価を過度に尊重することによります。ただし、わが国の大学教授や企業のCTOの中には、このような「保守化」の流れを危惧しておられる方々が、決して少なくないのも事実です。「保守化」から脱却するためには、わが国のとくに研究大学が、それぞれ、国内中心の評価から、海外の第一線の識者による世界的視野の評価に切り替えることが必要ではないでしょうか。
 それではわが国の流れが、欧米のそれらからずれ始めている背景を探ってみましょう。欧米には、脈々と伝わっている「文明の精神」があります。明治期の前半に福沢諭吉は、“西洋に行わるる文明の精神を取るにあり、”との命題を掲げ、西洋文明の学習は終わったとする皮相的な判断の危険性を警告しています。(#1) 有名な「ベルツの日記」は、“科学の成果をもたらした精神を学ぼうとしない”と、科学の果実のみを評価するわが国を痛烈に批判しています。(#2) 当時の海外留学は年数に恵まれていたので、研究に主体的に取り組むことができました。その過程で基盤としての文明の精神の大切さを体得して帰国した科学者は少なくなかったはずです。しかし大学当局を動かすまでにはいかなかったのでしょう。
 上記の事例は、決して過去のものではなく、その後のわが国の歴史が示すように、内向きともいえる大学内外の動きが、断続的に影響力を持ちました。しかし一方では、優れた指導者によって、研究と人材育成の両面で、世界的に評価される大きい成果につながった事例は、決して少なくはないのです。なお欧米にも、「保守化」と言われるような研究に従事している教授が多数おり、一定の評価を得ているものの、開拓者としての高い評価を得てこなかったのは欧米各国の健全性であり、精神文化の重みによるところではないでしょうか。

#1 「文明論の概略」を読む(下) 丸山真男著 岩波新書 1986
#2 ベルツの日記(上) トク・ベルツ編、菅沼竜太郎訳 岩波文庫 1979

2019年 8月 6日

(公社)日本工学アカデミー 会長

阿部 博之

(活動報告2018/2019 会長挨拶から転載)