EAJ NEWS 社団法人 日本工学アカデミー

English is here.

 

紙上フォーラム:シリーズ2「工学倫理・技術倫理」


 広報委員会では、新たな試みとして、社会的話題で工学に関連深い問題を積極的に取り上げ、これを「紙上フォーラム」の形でアカデミー内部に投げかけ、会員の個人的意見や主張を掲載することにしました。
 会員諸氏からの活発な投稿を歓迎いたします。
 原稿は1200字以内で、郵便、FAX、電子メールにて事務局宛ご投稿ください。締切は偶数月末日です。


 

 

公益は倫理的行為の最優先事項


西野 文雄/FUMIO NISHINO
(政策研究大学院大学教授)


 

 筆者が小委員長をしていた、日本学術会議基礎工学研究連絡委員会の下の、世界工学会連合小委員会で、「工学系高等教育機関での技術者の倫理教育に関する提案」をまとめ、日本学術会議の報告書として採択されたのは1997年5月であった。
 報告書は日本学術会議から、関係省庁に配布されるとの事であった。大学関係者には配布されないとの事であったので、提案をまとめた小委員会を代表し、私の名前で、全国の大学の工学部長宛に、理工系の単科大学の場合には学長宛に送付したのは、その直後であった。郵送はしたものの反応は全くなかった。関係した委員以外で、唯一反応を頂いた、と記憶しているのは、住田健二 日本学術会議会員(EAJ会員)のみであった。
 ここ数年の、技術者倫理に対する関心の広まりを見ると、隔世の感を抱く。技術士法の改正で、技術者倫理が一次試験の科目に入ったのと、JABEEによる工学部のプログラム評価の進展が大きな理由かと思われる。きっかけはこのようなことかも知れないが、社会全体が技術者倫理に注目する土壌が出来ていたものと信じたい。
 本紙No.94の紙上フォーラムで上野晴樹会員が「エンジニアの苦悩」として、問題提起され、No.96の紙上で伊藤學会員が「個人としての技術者の所属組織、更には社会との関わりから生じる矛盾と確執」と、書かれている問題がある。技術士法の言葉で言えば、第45条の2に書かれている公益確保の責務と、第45条の1に書かれている秘密保持義務が相反を来したときの問題である。「技術者の倫理綱領には両者が規定されているために生じる問題である」、という指摘のみで、それ以上踏み込んだ議論はされていない。技術士法の規定も上記の通りである。
 技術者が専門職として何らかの行為をするとき、公益の確保が最優先されるべき時代が来ている、と筆者は考える。技術が高度化したうえ、社会現象が複雑に絡み合っている現代社会を考えると、公益の確保が最も重要視されるべきであるといえる。
 土木学会が1938年に公にした「土木技術者の信条と実践要項」は、大きく二つの部分に分けて書かれており、まず、「土木技術者の信条」について、3項目を記している。古い文言で、現在では多少の違和感はあるが、第1項で、「土木技術者は国運の進展ならびに人類の福祉増進に貢献しなければならない」と謳っている。第2項は、技術の進歩向上に努めること、第3項は常に真摯な態度を持ち徳義と名誉を重んじること、と記している。ついで、土木技術者の実践要項として、11項目を挙げている。
 実践要項の中には社会に対する奉仕、国民の福利、関係する事業に違法であるものを認めたときはその匡正に努める、等の記述があるが、秘密保持義務については書かれていない。秘密保持義務の考え方がなかった時代の要項である、と言えるが、すでに、公益確保の責務に対する考えは明確にあったと言える。
 信条が先にあり、その具体的な内容を実践要項に書いている、と理解して自然であろう。実践要項と信条との間で相反する場合には、信条が優先するものと読むべきであると考える。最近になって改訂された、土木学会の倫理規定も、まず、基本認識を記し、その後に、倫理規定を記すという2段構成になっている。
 米国プロフェッショナル・エンジニア協会(NSPE)の1993年版の技術者のための倫理規定(科学技術者の倫理、日本技術士会訳、丸善、1998年9月)では、前文で、「技術者は、全ての人の生活の質に、直接的かつ重大な影響力がある。それゆえに、技術者が提供するサービスは、正直性、普遍性、および衡平を必要とし、公衆の健康、安全、および福利の保護に捧げられなければならない。」と、記している。ここでの表現からは、依頼者や雇用者に対する義務より、公益確保の責務が優先される、と読んで自然であろう。世界工学会連合のモデル倫理綱領でも、前文で、全く同じ事を記している。世界工学会連合の綱領では、以前の版でも前文がついていたが、2001年8月版の前文はさらに内容が増えており、倫理的な行為、考え方についても書かれている。倫理問題を考える上で、有益な参考資料である。土木学会やNSPEの倫理規定、世界工学会連合のモデル倫理規定のように、規定を前文と本文とに分け、前段に倫理的な行為の基本や考え方を書く、という書き方がよいと考える。
 秘密保持義務と公益確保の責務の相反については、上記の翻訳書の7.8「正直性と依頼者―専門職の機密」の節の紹介記事が良い参考になろう。依頼者に対する守秘義務より、公衆に対するより高い義務を優先すべき事例を、仮想事件を取りあげて、論じている。同じ節で、専門職にかかわる臨床心理医の行為に対するカリフォルニア州裁判所の「公衆の利害関係を、依頼者または雇用者に対する技術業の規定(ここでは秘密保持の義務)よりも上回る。」と、する判決も紹介されている。
 秘密保持義務と公益確保の責務の相反を含め、技術者倫理を考えるとき、上記の翻訳書の第1章の序論はよい参考資料となろう。
 秘密保持の義務よりも公益確保の責務が優先された時の行為の一つに、ホイッスル・ブローイングがある。上野晴樹会員は「内部告発は組織崩壊と言う暗いイメージがあり、秩序を重んじる我が国には心理的になじまないようである。しかし一方、内部からの告発がなければ、昨今起こっている組織的不正行為を発見することは出来ず、・・・」と、書かれている。伊藤學会員は、「不正行為の放置は公益を損なうだけでなく、組織そのものが破壊につながりかねない、というのが内部告発の正当化の論理となりうるのか、倫理規定の文章化、或いはその解釈が難しいところである。」と、書かれている。さらに、上野晴樹会員は「公益通報者保護制度が我が国で検討されているのは、公益が組織益に優先するということが認識されるようになったからである。」と、書かれているが、これ以上踏み込んだ記述はない。
 NSPEの倫理規定では、前文の中で上述のように公衆の健康、安全、および福利の保護を謳った後に、基本綱領と続き、この基本綱領の中で、「専門職の義務の遂行において、公衆の安全、健康、福利を最優先する」よう要求する、と、前文に続いて再度記している。さらに、その後に続く、実務の原則の1.cで、「技術者は、事実、データ、または情報を、依頼者または雇用者の事前の同意なしに明かせないものとする。ただし、法律または本規定によって承認され、または要求される場合は除く。」と、規定している。法律によって承認されている場合は明快であるが、本規定によって承認されている場合として、公衆の安全、健康、福利を最優先する事を指している事は、前文、基本綱領の内容から明白である、といえよう。既に述べた仮想事例やカリフォルニア州での判決の場合には、外部に対する通報を容認している。JCOの事故に関連して、筆者は秘密保持義務と公益確保の責務の相反について、1999年10月7日付けの読売新聞論点で、最近の技術者倫理の考え方では公益確保が優先されること、JCOに技術者倫理を理解している技術者がいれば、内部告発によって、事故は防げたのではないか、と書いている。前記翻訳書には、米国でのホイッスル・ブローイングの例が数多く紹介されている。内部告発した本人は、ほとんど職を追われているが、米国では、その後しかるべき地位についているケースが多い。
 上野晴樹会員が書かれているように、我が国でもホイッスル・ブローイングを正当な行為とする考え方が定着してきており、最近では公益通報と呼ばれている。2003年12月10日、内閣府国民生活局は、公益通報者保護法案の骨子(案)を発表している。骨子案では、公益通報者保護法案として不十分だとして、現在多くの意見が提出されている。技術者の行為、行動が公益に及ぼす影響は、医者や弁護士に比べて、はるかに大きいと思われる。技術者には倫理的な行為、行動が必要不可欠である。骨子案に対して、技術者個人、あるいは集団が構成員となっている日本技術士会、日本工学会、日本工学アカデミーなどの団体の積極的な提言を期待したい。

 

なぜ倫理は守られないか


野村 東太/TOTA NOMURA
(ものつくり大学学長)


倫理不成立の現状、建前と本音の乖離

 なぜ倫理は守られないのか。それは、守れない、ないしは守り難い状況があるからだろう。だが、この状況を変えるのは簡単ではない。
 たとえば業者の談合一つを見ても、談合は関係者全員が利益を共有し、一方、被害者は見えにくい。助け合いは美徳の一面もあり、後ろめたいと感じても談合から抜ければ倒産もしかねない。G7・G8やOPECの会議も一種の談合だろうし、建前と本音のズレは大きい。
 戦争の廃絶に武器全廃は建前だが、世界では1億人以上が武器の生産販売で生活している。代りの生計手段がないと建前は実現できまい。麻薬や売春の撲滅も生計の課題は似ている。
 本音と建前の乖離は今後も完全には埋まらないだろう。だが、相互の溝を狭める努力は不可欠だと思う。今後とも建前だけの倫理は守られ難いだろう。科学や技術の倫理も同じと思う。  

ものづくりの歴史と倫理の変化
 人類の長い歴史は飢餓と欠乏の歴史だった。「もの」は有難い感謝の対象であり、ものづくりは常に善であった。支える技能も善だった。
 近代の科学や技術は、ものづくりを通して人類に文明の恩恵と未来への希望を与えてきた。
 だが、科学や技術自体が倫理的に中立でも、ものづくりの段階で人間の欲望が利用目的に介入し、使用結果に負の面も生まれはじめた。
 「もの」の一部は、人類の殺傷や差別、生物の絶滅、環境の破壊にも加担し、その利用目的と使用結果への責任が顕在化してきた。科学や技術にも責任と予防の倫理が必要となり、実用化に際しては、その内容に社会的合意と認知を得ることが不可欠になったと言えよう。

社会的認知を得る倫理の背景
 倫理観には歴史や文化なども関係してくる。わが国では、人々は「あうん」の呼吸の下に相互扶助の生活を守ってきた。だが、良い伝統の反面、帰属組織の互助意識も強く、個人の倫理より組織防衛が優先しがちでもあった。
 実社会での運営は本音でやらざるを得ない。だが、本音はしばしば実情を離れた法律の建前で罰せられた。罰は「見つかり損の悪運」とも思われ、実情に即した倫理が育たなかった。
 法は我々の倫理基盤の上に成り立っている。だが、本質的に時代の後追いのため、人々の常識や感覚との間に落差も起こる。権力が作った法には、順法自体が反倫理のこともある。法と個人倫理の関係は今後も重要な課題だと思う。  

匠が支えた「ものづくり」の倫理
 ものづくりを支えた匠の目標は、「何よりも良いものを作る」という高い倫理性にあった。このため、手を尽くして最良の材料を探し、骨身を惜しまず精魂込めて作りあげた。利益は結果であって最初の目標ではなかった。
 現代の多くの企業では、収益が最初の目標である。このため、より安価で見栄えのよい材料を探し、最少の労力で効率よく短期間に作り、出来たものが消費者にとって最良か否かは後回しになる傾向があった。経済と効率の優先が、ものづくりの倫理を損なった遠因だとも思う。

ブラックボックス化と倫理の喪失
 複雑な社会構造の下では全体像が見え難い。科学や技術でも専門分化が蛸壺化を生み、相互の不干渉や社会的な無関心を助長した。
 この結果、研究者にも現場の実体験を疎んじて実情への感性を欠いた者や、学問が特定の仮定条件の上に成立している認識のない者も出てきた。数値や記号の信奉者も危うい。軍事産業を科学や技術の発展に好都合と思う者もいる。彼らに未来を誤らせないことが肝要だと思う。
 一般の人々にも、科学や技術の専門部分は見えにくい。このため、市民の良識が倫理上の確認や制御をしにくい状況が生まれている。姿の見える学問と技術が大切であると考える。

生産体制の非人間化と無責任化
 近代工業による大量生産は、人類悲願の飢餓と貧困からの脱出を初めて先進国で実現した。
 だが、このための分業生産体制は、働く者を工程上の一歯車と化し、全体像を見え難くして各自の仕事の意義や達成感、ひいては自己実現の希望を減らす一面をもたらした。
 この結果、工程全体への配慮が不足したり、作り手の気持が十分込められなかったりして、生産者の顔や責任が消費者に見えにくいものが増え、ものづくりの倫理が希薄になった。

人間の基本倫理の大転換
 時代と共に倫理観は大きく変わる。人口爆発や物質文明の追求で生じた様々な地球規模の歪は、生態系を軽視した人類優先や、科学や技術による自然支配の思想を行き詰まらせた。
 倫理の根源であった人道主義や博愛主義も、人類の急増を前にして、全ての人を飢餓や貧困や差別から救えない状況となっている。
さらに、人は遺伝子組換えや再生医学などにより、天性の変更や不老長寿を目指し始めた。
 遺伝子組換えは、先天的な人格や能力の変更に対する倫理問題と同時に、教育による後天的な能力学修と対峙するだろう。不老長寿は人間の生死観と生命倫理を揺さぶりかねない。

「もの観」の変化と正道回帰
 先進国の物溢れは、人々の「もの観」を次第に変えつつある。多くの人が、これ以上に物は要らないと感じ始め、物の財産価値が減って物の所有がステータスでなくなりはじめた。
 買い替えや使い捨てを煽る供給者側の論理に乗せられて、目先だけで物を買ってきた生活を消費者は反省し始めていると思う。
 人々は、機能的にも感性的にも自分に本当に必要なもの、質が高く個性豊かで、使うほど味と愛着が増す、心に感じるものを求め始めた。
 ものに対する価値観の変化と多様化は急速に進みつつある。「消費者が主人公」の流れは、ものづくりの正道への回帰でもあろう。

ものつくり大学、臨物工学のすすめ
 ものつくり大学は、「もの」の原点から出発する。まず、ものに触れてその命を感じ、技能を通して体得した「ものづくり魂」を基盤にしている。これに科学と技術の知識を修得して普遍化の能力を高め、マネージメント能力を加えて経営的な視野もある人材を目指している。
 さらに最終的には、新時代を切り拓く感性と倫理を備えた人物の誕生を志向している。
 このため実学を重視し、理論から入らず、現場で実物から問題を発見し、自ら企画し制作して世に問う教育過程を大切にしている。
 これは、原理である科学とその応用である工学を知識として学び、これを支える技術を体得せず、技能も無視した従来の反省でもある。
 つまり、技能や技術を通して、ものの実体を捉え、これを普遍的な工学や原理的な科学へと発展さす、従来とは逆の学問の手法でもある。
 これを「臨物工学」と名付けたい。医学で言えば、全ては患者が原点の臨床医学に近い。
 実験や実習は、原理の実証だけでは不足で、仮説を立てて実証することが重要だと思う。
 創造的な飛躍や仮説は感性から生まれ、理屈や分析からは生まれないと思う。感性は常に現実の場で現物に触れて感じることで育つ。倫理観が生まれ育つのも、この感性と同じであろう。







[HOME]


会長談話「青色LED判決を契機に思う」 |
公開シンポジウム「脱石油文明を考える−ピークを超える世界石油生産」 |
関西地区講演会 「21世紀における我が国の物づくりー米国より何を学ぶべきかー」 |
公開講演会「ものづくりにおけるスキルとその技術化」の新機軸を探る |
スーパーコンピューティングの将来に関する日米フォーラム |
紙上フォーラム:シリーズ2「工学倫理・技術倫理」 |
日本学術会議第5部会員との懇談会 | 第7回通常総会開催通知 |
INFORMATION