藤田あき美先生(a.k.a 天文物理学者BossB)にインタビュー
東北大学災害科学国際研究所 災害評価低減研究部門 助教
野村怜佳
はじめに
天文物理学者BossBこと藤田あき美准教授(信州大学学術研究院工学系)にインタビューを行ってきました。藤田先生は、コロンビア大学で天文物理学の博士号を取得後、カリフォルニア大学サンタバーバラ校(米国)、マックスプランク天文学研究所(ドイツ)などで研究員として勤められた後、ご出産を機に7年間研究生活から遠ざかり育児に専念されていたという経歴をお持ちです。キックボクシングインストラクターとしてご活動されていたこともあるそうです。
2014年に信州大学に着任されたことをきっかけにアカデミアにカムバックされ、研究活動と並行してInstagramやYoutube、TikTokなどのSNSで皆が輝ける社会を創るための発信を続けていらっしゃいます。活動名義であるBossBの意味について、公式サイトに、「自信に満ち、自分の信じた道を進む、独立した女性のこと。BossBはユニークで型にはまらず、ポジティブで、勇ましく、誰とでも裏表がなく自分の意見を発する。そして全ての女性のエンパワを支持する。」とあります。そんなアナーキーでかっこいいBossBこと藤田先生に日ごろからSNSを通じてたくさん勇気を頂いている筆者が、お時間を頂いてインタビューしてきました。
「『こうあるべき』ではなく『こうしたい』が大切」
筆者(以下略):ご出産後に研究者としてのキャリアから一度離れ子育てに専念したいていた、という藤田先生のキャリアに「こういうキャリアの選び方もあるのか!かっこいい!」と励まされ、勇気をいただいたのですが、当時不安を感じたりはしなかったのでしょうか。
藤田先生(以下敬称略):私、昔から不安を感じたことがないんですよ。なぜかというと、『私の夢はこれです』みたいに思ったことが一切なく、その時その時『目の前にあること』や自身の『興味のあること』に従って生きていたので。
その当時は、子供がかわいくてかわいくて仕方がなかった。研究に専念することよりも子供と時間を過ごすことにずっと心が傾いていたのです。『(研究者としてのキャリアを中断して子育てに専念した)そのあとどうなるか』ということは一切考えていませんでした。そういった姿勢がいいことなのかは、私自身もわかりませんが、それでもこのように、ここまで生きてきています。
―― なかなかない決断だと思うのですが、例えば周りのどなたかに反対されたりはしなかったのでしょうか?
藤田:(反対や否定意見を)誰もいってこないし、周りに相談もしてないですね。ただ、母親には『それはよくない』と言われたような気がします。母親自身がそうだったから。昭和的な性別役割分担を求められ、母は妥協して仕事を辞めてしまった。美容室を経営していてかなりの収入を得ていたようですが、父親が一切3人の子供の世話をしない、働いて帰ってきて疲れた中、さらにご飯を用意しないといけない。とはいえ、『美容師を続けるのか?子供3人と一緒にいることを選ぶのか?』と問われたら、子供3人との時間の方がいいなと思っていたわけだから、母も当時の決断を後悔しているわけではないとは思います。
でも、どうもそこまで強く否定された覚えがない。具体的に何と言われたのかも覚えていない。だから、本当に誰からも否定されたり反対されたりしなかったのかもしれません。そもそも(研究者としてのキャリアを中断して子育てに専念することを)別に悪いこと、ネガティブなことだと思ったことがないです。
―― 藤田先生のご決断とお母様の決断は対照的ですね。自発的にそうしている、というのと、社会からのプレッシャーや夫からの要請、性別役割分担の考え方で、そうしているというのと…。
藤田:うん、そういうことなんだよね。自分の中から湧き出た決断であれば、キャリアを選ぼうが、子育てを選ぼうが、どっちの方向に転んだっていい。男の人だってそれをしてもいいと思うし。 女だから、男だから、今の時代だから、『こうあるべきだ』という外的な圧力で自分の好きなことややりたいことを変えるのではなく、自分の内から湧き上がるのであれば、それがどの方向でも、一番いい決断だとは私は思いますよ。自分の人生を振り返って私はそう思います。
―― 社会からのプレッシャーと同様に、「みんなはこうしてるからな…」と、他人と自分を比較して不安やためらいを感じる人は少なくないと思うのですが、藤田先生はいかがでしたか?
藤田:ないんだな、『みんながそうしてるから…』って、そういうの。若い頃、十代の頃は比べる時もあったけど。いわゆる日本で言われる同調圧力とか、そういうのには、今でも、一切影響を受けないですね。
―― ああ、とてもかっこいいですね(私自身はとても人の目を気にしてしまうタイプ)…。「みんなこうだから…」と思わず、自分の気持ちを大切にした結果が現在につながっているということですよね。きっと。
藤田:みんなこうだから、と、そもそも思わないんですよ、私。『みんなこうだから我慢しろ』とか、納得いかないね。そういうの、嫌なんです。私の立場や感じていること、どれほど我慢することがつらいか、誰もわからないじゃない。
でも、それぞれのキャパシティも能力も違うし。私が人よりも倍以上できることもあれば、半分以下しかできないこともある。それぞれ補うのが社会でしょう。そんな風に(周りに合わせて我慢して)生きたら誰も幸せになれない。
もちろん税金なんかは違いますよ?民主主義の政治で決めたことだから皆と一緒に払う。そうはいっても、累進課税制で所得が高い人の方が多く払いますよね?これと一緒です。
―― ありがとうございます、質問の最後に、わたしの身の回りの同世代たちに向けた励ましの言葉をいただこうと思ってしたんですが、改めてお願いせずとも、すでに十分励まされるエピソードやお言葉をいただけました。仕事と家庭どちらを選ぶのが尊い、という二元論ではなく、柔軟な選択がもっとできるようになればよいなと思いました。
「今の大学はその在り方に矛盾がある」
―― 私は大学教員になって4年目です。私が藤田先生に(SNSや著書を通じて)すごく元気をいただいているように、学生さんという年が離れた世代の人を励ませるような存在になりたいとおもっています。年下の方と接する時に何か心がけていることはありますか?
藤田:私の物差しで相手を図らないことや話し方ですかね。相手と交流して会話を持つときには、相手のあり方というのを尊重することを心がけています。そうしないと、誤解が生まれる。コミュニケーションに誤解はつきものですが、少なくなるように努めなければなと。
私は手を挙げて自分の意見を堂々と言える人間になる人が多ければ多いほど、この世の中は民主主義的に良くなっていくと思っていますが、それでも様々な複雑な背景があって、それができない人がいる。周りの目が気になるという人、障害を抱えている人、千差万別なので。
―― 自分と学生とがマンツーマンで対話するような面談などのクローズドな場面で、特に大切になりそうな姿勢ですね。
では、授業などの一対多、つまり自分は一人で相手は多くて、という場面ではいかがでしょうか。つまり、一人一人のことを深く配慮するにはリソースが足りない、というとき、配慮の線引きやさじ加減がすごく難しいなと最近感じています。先生のさっきのお話の例でいうと、手を挙げてもらわないことには進まない場面、授業の構造として意見を発言してもらうわないといけない場合に、学生に自分のスタイルを押し付けるような形になってしまいますよね。なんだか良くないことのような気もするけれど、社会は意に反することをすべてしないで済むほどに一人一人を配慮してくれる場所ではないですし。そういったバランスについて、もし先生の方でこうお考えとかあったら教えていただけませんか?
藤田:うーん…。(後者の)そういう方は大学に来なくてもいい、ということになりませんかね。現在の日本の大学に通う学生の多くに通ずると思いますが、それは学ぶために講義に出ていませんよね。
―― ああ…、まったくおっしゃる通りですね。
藤田:最高学府といわれる東京大学や、野村さんの所属する東北大学であっても、私が思うに、学ぶために通っている人ばかりでないのではないですか。大学卒や○○大卒業生という肩書が就職に有利だから、と、そういう動機付けの人が少なくないのではないでしょうか。本来真に学びたい人だけが来るべき場所なはずなのに、です。
そうはいっても、学生たち(もしくはその親)は学ぶためにお金を払っている。なのに、(挙手や意見発言を拒むなど)学ぼうとしない。本人たちに伝えはしますが、何度も何度も繰り返し伝えることはしません。
大学の教員ができるのは結局、『学びたい人に学ばせる、教えること』。経験を重ねるうちに学びたい意欲のある学生は雰囲気などでわかるようになってきました。そういう意味では、心の中で線引きをしています。
―― 確かにそうですね、態度や発言、姿勢などから学ぶ意欲が伝わってきます。
藤田:学ぶ意欲が持てない学生に『底上げを』などと言われますけど、相手は成人です。大学は底上げする場所でも、義務教育をする場所でもない。本当は大学に入るための受験勉強よりも、真の学びに対する姿勢を小中高で身に着け学ぶべきなのですが。
―― なるほど…私は今までそういった学生さんたちとの接し方にすごく悩んでいたのですが、小中高、大学と、教育の制度をマクロな視点で見た際の様々な問題が大学で顕在化しているのだとすっきりしました。
「『経験』は良い知恵であり悪い知恵。若者ほどリスクを冒せる」
―― では、次の質問です。日本では一般的に浸透している、年功序列型の意思決定システムについてです。私は昔企業にいたことがあるのですが、トップダウン型の意思決定のシステムは、若い人=意思決定に携われない、意見を言う機会がない、という仕組みに感じられ、当時理不尽に感じることが多かったです。藤田先生は、こういう仕組みについてどうお考えですか。
藤田:自由な意見交換から新しいアイデアをどんどんどんどん出して、そこから模索するっていうのが創造とイノベーションの土壌であって。地位や年齢によって意見を言える・言えないという圧があるのであれば、日本が何十年停滞していると言われる理由まさしくそこにあるのではないかなと私は思います。
私の意見では、若い人の方が頭が良い。 若ければ若いほど脳の働きはいいと、科学的にもそう思います。
―― (若い人ほど頭が良いと聞いて)そうなんですね!?
藤田:記憶力がいいとか、そういうことではなく、リスクを冒すということについてです。誰もやったことのない間違いを起こす。誰も考えたことないような思想を持ってくる。バンジージャンプですごく高いところから飛び降りるのも、若い子の方が多いじゃないですか。これは新しい未知の世界やリスクに飛び込んでいってるってことですよね。(リスクを冒すことに関しては)若い子たちの方ができることなのです。
逆に年をとればとるほど経験がつきますよね、『こうやってやったらうまくいったな』って。それはいい知恵でもあるけれど、リスクを冒せなくなる、という意味では悪い知恵でもあるわけですよ。だから、若ければ若いほどクリエイティブだし、イノベーティブだと私は思う。若いからとか女だからとか、役職が低いから、新社員だからって意見を潰すなら、その組織はもう限界ですね。
別に新しいものを生むだけが大切ではないですよ。でも、やっぱり、ぶつかって初めて新しいものが生まれる、より良いものにつながっていく。新しいアイデアを生み、常に改善していくことで、社会も組織もより良い方向に進んでいける。フラットな人間関係や対話、議論がないことには一人一人の能力が発揮されません。
―― ありがとうございます。実は、この質問をお聞きしたのは「差別」や「ステレオタイプ」、「偏見」といわれるもので一番身近なのに皆意識していないのって実は「年齢」なんじゃないか、と感じていたからなのです。若い人は「オジサン」「オバサン」「老害」と年長者を敬遠し、年長者は「若い奴は~」と苦い顔をして。お互いに嫌いあってるだけじゃ、対話や歩み寄りがない。
藤田:私もそういうの(年齢による差別・対立)大嫌いなんですよ。 日本はまず、『先輩・後輩』の文化から変えた方がいい。年が一つ違う、違わないで喋り方を変える、という文化が中学生くらいから存在する。もう、そこで年齢の壁ができちゃう。そんな時代から壁を作って、チャンスを減らしてしまう。
―― 藤田先生のお考えを聞いて、もし自分がリーダーになったら、年齢のギャップを意識して対話を大切にしようという気持ちがより強くなりました。
「私自身が自由であることが年下の人への一番の励ましになる」
―― 『年齢』と比べると『性別』に基づく無意識の偏見や差別については、問題意識がかなり共有されてきていると思います。とはいえ、まだまだ改善しなければならない部分が多いのも事実です。僭越ながら私の例をお話しすると、工学系の女子学生が、就職説明会やキャリアに関する話し合いで「女の子だけど大丈夫だよ」「女の子でも大丈夫だよ」と第三者に言葉がけされているときに、『もちろん彼女(女子学生)の能力を評価してくれているのですよね。』『女性・男性は関係ないということですよね』と念押しするようにしています。
これは、「(普通の組織の場合)女性(は無理)だけれど、(私たちの組織では)大丈夫ですよ」という風にも聞こえるし、そもそも励ましや安心を与える言葉ではないと思っているからです。私自身、アカデミアでの女性限定公募などを引き合いに「あなたは女性だから心配しなくてよいよ」といわれたとき「女性だから能力に期待されていない、能力はそこまで高くなくてよい。」と言われているような気がして、自信を失った過去があったので…。
藤田先生が信州大学で、具体的に行動をされていることがあればぜひ教えていただきたいです。
藤田:私自身が自由であること。私が積極的に語りかけたりするわけではなく。同調圧力などにしたがっていない、自由にある私を見せることです。特に女の子たちに『あんな風でもいいんだ』と思っていただければ。
『私のようになれ』と言うわけじゃなく、女性研究者、女性教員、理系女性、そんな括りや肩書に対する型は本来何もなく千差万別。『自分のやり方はこうだ』『私はこれだ』でいいと思うんだよね。
―― 深く納得します。私はロールモデルって言葉があまり好きではなかったので。学生の頃、工学・理学系の女性研究者のライフスタイルはどんな感じなのだろう?と調べた際、「出産して3週間で仕事復帰した」「家事育児が一段落した深夜に実験を再開するために研究室へ」といったエピソードが取り上げられがちで、「これくらいタフじゃないと生き残れない世界なのか…」と自信を無くした記憶があります。そういう先輩方達は道を切り開いた素晴らしい方たちで素直に尊敬しますが、「ああいう方たちを目指してごらん」といわれると、「自分はこうなれるか?いや、なれないな…」と…。
藤田:そりゃあ、研究者やりたくないと思いますよね(笑) ただ、ロールモデルは『こうあるべきだ』じゃなく、『Representation(代理・表象・代表)』という意味では必要ですよ。
例えば小さい子たちが将来何になりたか?を問われると、女の子から「パイロットになりたい」はあまり出てこない。絵本や映画の中でパイロットとして活躍する女性があまりいないし自分の周りにもいない。環境や周りの人たちのあり方から自分のどうなりたい、何ができるだろう、という考え方が無意識に影響を受けるのは必然です。そういう意味でロールモデルが必要。
―― そうですね、確かにそういった意味でのロールモデルは絶対に必要ですね。以前鑑賞したディズニーの「バズ・ライトイヤー」という映画で、主人公バズの同僚アリーシャは黒人女性パイロット、そしてパートナーが女性っていう設定だったんです。これは励まされる子供たちが大勢いるに違いない!ととても嬉しかったのを思い出しました。
藤田:最近のディズニーは変わりましたよね。ロールモデルとして、すごくいい役割を果たしていると思います。ああいった映画見たら、過去の私もそこまで疑問を抱かなかっただろうなと思いますよ。
―― 小さい頃に「白雪姫」の劇を見て「なぜ女性は白馬の王子を待っていなければならない?」と違和感があったとおっしゃっていましたね(*1)。
文理選択以前にそもそも「興味がない」ことが問題
――では、理系の女性人材が少ないことについてはどう思われますか?諸外国と比べた時に、日本では明らかに理系人材の男女比が異なりますが、私は高校生の時に文理コースどちらかを選択をする際、理系を選ぶことに「覚悟」が必要という風潮を大人が作っているように感じられ、そのことが一因なのではないかと考えています。
藤田: …理系を選ぶことにどうしてそんなに覚悟がいるの?
――私の出身高校だけかもしれないのですが、文理選択の際に、『文系科目と比べて理系科目はかなり難しい』『理系職は女子が少ないから苦労する』と言われた気がします。理系選択した女子の多くは『看護職は結婚・出産を経ても続けられる』、『自己都合での転職・転勤ができそうだから』と、資格職でかつ女性の就業者が多い看護や医療・保健や薬学系に行きたいという明確な将来像と『覚悟』がある子ばかりでした。私のように『何になるのかはまだ決めていないけど、こっちの方がやりごたえがありそう、おもしろそう』、と興味関心で選ぶ女子学生はかなり少数派でした。
男の子に対しては、『理系の方が稼げる、職に就きやすい』『理系選択できるのは優秀さの証』と、理系選択が奨励されるような空気感があったように思います。
藤田:なぜそこでダブルスタンダードが生まれるんでしょうね。先生たち、自分の物差しを当てすぎですよね。私は逆でしたね。高校1年生の最後に進路について面談した際、私は世界中旅したいからいろんな国の言葉が喋れた方がいいな、五か国語ぐらい学ぶのはどうでしょうかね、って言ったんですよ。そうしたら、担任の先生が『言語というのは使うもの、道具であって学ぶものじゃない。数学と物理の成績がすごくいいから、あなたはまず理系に進みなさい』って言ってくれたんですよ。その一言で決めたわけではないけれども、物理や数学を勉強するということは、そういった形で自然に選択に入ってきた。
当時昭和、女性担任で40代後半ぐらいの英語教師だったと思います。なんで今の先生たちがそういうことを言うのか本当に理解できないね。
――大人の態度以外に、何が足かせになっていると思いますか?
藤田:そもそも『興味がない』っていうのが一番大きいかな。世界はどうなっているんだろう?自然は?政治って?といった『なぜ』を大切にする教育ではなくて詰め込み教育なので。 学問は、探究心・好奇心を育んでから始まらなきゃいけないのに、そこがないから、進路選択するときに『稼ぎがいいから』とか『受験が簡単だから』という観点になってしまうんじゃないですか。
特に、大学受験ってヘビーでしょう。今の進学校って蓋開けてみると二年でやっちゃう。 三年目は受験科目の勉強のみ、テストに備える期間。そんなの教育じゃないでしょう。 そういえば、野村さんの所属する東北大学では入試がなくなりますよね?(*2学部⼀般選抜を総合型選抜に移⾏する計画案が発表された)
――はい、詳しくは知りませんが、ニュースなどを通じて将来的にそのようになると聞いています。
藤田:正しいことです。早く正確にペーパーテストを解けるテクニックを身に着けることは、学びではないのです。早く正確に数学の問題を解きたいのなら、コンピュータやAIを使えばいいという時代ですよ。しかし、そういったことが上手にできるほど、大学に入ることが有利になる仕組みになっている。教育の在り方自体に問題があります。
今世の中にない新しい問題を考えて、それをどう解くか。数学や物理は受験勉強の科目ではなく、科学において『どう解くか』のツールですから。東北大の真似をする大学がどんどん増えてほしいです。
――東北大学は私にとって母校で、また女子学生を初めて受け入れた旧帝国大ということもあって、元からとても愛着があったのですが、そのように褒めていただいて、とてもうれしいです。
おわりに
冒頭かなり緊張していたインタビュアーでしたが、やり取りを経るうちに緊張もだいぶほぐれ、自分の感じている問題や藤田先生のお考えに対する自分の感想なども徐々に滑らかにお伝えできるようになってきました。お話をしている中で自分自身が刺激をたくさんいただき、もっとたくさんお話がしたい、これについても聞いてみたいと焦るうちに1時間が過ぎ、インタビューが終了となりました。本記事に記載したこと以外にも、著書「宇宙思考」を拝読しての感想をお伝えしたり、愛するご子息を育てる中で母親として貫いた姿勢など、本当にたくさんのことをお聞かせいただきました。
Zoomの通話が終了する直前、「頑張ってね。」「これから先なにか困ったことがあったら相談してください。」「心から応援しています。」という言葉をいただきました。インタビューにご対応いただいたことへのお礼に加え、暖かな励ましをいただいたことに、この場を借りてお礼を申し上げたいと思います。BossBこと藤田先生、本当にありがとうございました。
この記事を通じて、論理的でいて常に愛のある藤田先生の視点をより多くの方に共有できれば幸甚です。
2024年10月7日
Web会議にてインタビューにご協力いただきました。
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